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About Us

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みつやまの里    郷旬&るぅり

みつやまの里から10分​ 大撫山からの日の出&雲海

​みつやまの里

2013年、自然の中で後半生を生きたいとに大阪から佐用町に移住を決意

築100年の9cm傾いていた古民家を

庭の牛小屋解体から含め約1年半がかりで大工さんのお力を借りて修復し、農業を営みながら、

西はりま天文台の麓にあるFarm & Stay みつやまの里(農家民宿)を2018年9月オープンしました。 

 

農薬や化学肥料・動物由来の糞肥料も使わずに、周りにある草花やお米を脱穀した後の籾殻や牡蠣殻等を使って土作りをし、ミネラルやエネルギーあふれる子どもたちがパクパク食べちゃうお野菜をセットにしてお届けしたり、宿のお食事として提供させていただいています。

 

また、広い空と自然に囲まれている環境を生かし、大地の上での生き物との出会いや農的体験を中心にイベント等も実施しています。

特に畑作業は共同作業、子どもたちに「一緒にいてくれたからできたよ」と「ありがとう」が言える場作りを大切にしています。

畑の上で、みんな混ざり合って、出会って、しゃべって、つながりあいながら その時々で、いろんなことしていく ”とっておきの畑じかん~薪で羽釜ごはん&みんなで微生物さんのお手伝い”は毎月続けてきて約3年になります。

 

 みつやまの里のおっちゃんとおばちゃんの思いを紹介します。長いですが、よかったら読んでください。

 Story  その1 おばちゃん編 るぅりの巻

​    その2 おっちゃん編 郷旬(ごうじゅん)の巻

Our Story その1 るぅり

自然が好きで、少数民族の自然観や文化に惹かれ、

チベット、ネパール、アメリカ先住民の居留地を旅したことや自然農との出会いから、

生かし生かされ合ういのちの世界に思いを寄せるようになる。

また、教育関係の仕事で荒れた中学校や児童養護施設への学習支援に関わったことから、

小さい時の親子の愛着の絆がとっても大切で、 人や自分を信頼する土台となることを

お母さんたちに伝えていきたいと思うようになりました。  

 

 

* おいしい空気からはじまるしあわせ *

 

        佐用郡ユネスコ協会 自分史シリ-ズ NO7 田舎暮らし体験記 2 より転載

◆ 佐用町と出会う

2013年大阪市内のマンションからあこがれの古民家にまずは郷旬が一人で先行して移住

2014年4月からるぅりも合流

田舎暮らしというのんびりモ-ドはなく日々必死で、あっという間に時間が過ぎ、今も毎日突っ走っている感覚だけが連なっています。田舎の方が忙しい。やることがいっぱいあり、常に次の仕事が待ち受けています。

 私の田舎暮らしは、いろんな地をめぐり高知県に決めた直後、不思議なご縁で、近畿中国田舎暮らしの会で出会った仲間のいる佐用町に導かれました。

いまのところ、跳び箱に例えると3段目です。

 

◆ フルタイムで姫路通勤 古民家改修

 1段目は、姫路にフルタイムで働きに行った2年3ヶ月。早朝暗いうちに家を出て、暗い時に帰ってくる生活。こんないいところに住んでいるのに寝に帰っているだけ?なんでここにいるんやろ?ここで本当にやりたいことは何?と自問する日々。

 その間に1年住んでみて、9cm傾いて縁側の戸が一枚も開かない築100年の古民家改修を決意。庭の牛小屋解体から始まり、農作業の合間に相方さんが床や天井を抜いて大工さんにお世話になり改修。完成は1年半後のことでした。

 

◆ まさかまさか!知らない!わからない!の連続

 2段目は、30年続けた会社勤めをやめて相方さんと野菜作りをしながら販路開拓へあれこれ奔走。農家民宿をオ-プンさせて2足のわらじで今日に至る4年半。

 正直に言うと苦しかったです。相方さん1人ではなかなか進まない畑仕事。2人でやればもっと進むはず!と精を出すも、鹿さん、猪さんに食べられて「時間を返して~」と泣きながら叫びたくなることもしばしば。

 移住時になんの予測もしてこなかったので、まさかまさかの動物たちが食べ物に困っている現実。

 そして、夏の草刈三昧!!知らない、わからない世界から現実がどんどん迫ってきました。気候は人間の力ではどうにもできず、日照りや降り続く雨など、気が休まる間もありませんでした。

 暮らしてみてわかることに日々遭遇。でもここで生きることに決めたのです。地域の方に教えていただき、ご縁のある方々に助けていただきながら乗り越える方法を模索して進んできました

 

◆ 出発点は自然農

 農業の出発点は、赤目自然熟に通って川口由一さんから学んだことでした。幸運なことに市民農園を大阪市内で借りることができ、実践させてもらうことができました。そんな流れで佐用に来てからも畑は、農薬や化学肥料・動物由来の糞肥料も使わず、土の中の微生物の種類と数を増やし、その微生物たちに作物を育ててもらう土作りを大事にしてきました。具体的には、周りにある草花やお米を脱穀した後の籾殻や川の恵みを受けた牡蠣殻(かきがら)等を使います。大切にしているのは子どもたちが「おいしい」と笑顔になるお野菜です。

 

◆ おいしい空気 四季折々の変化

 実際に住んでみて、いろんなことに直面しながらも、喜びもたくさんありました。朝一番のおいしい空気、これはどう転んでもおいしすぎです!!そして「こんなにあったんだ」と驚く星々。15分ぐらい走れば拝めるご来光。富士山の頂上にも負けていません。四季折々の変化を目で、肌で感じる暮らし。ひろがる田んぼは黄金色に輝き豊かな実りをもたらすこと。山の色の変化、突然出現する彼岸花の赤。一瞬だから見逃さないようにと気をつける葛の花。「ふきのとう味噌がたべた-い」。野草の中でも大好きな野甘草(のかんぞう)とスベリヒユを待ちわびる楽しみ。ハ-ブで作るチンキ。大阪時代からしていた梅干と味噌作りは量が増えました。

自然の恵みは物を買うようにはいかず、その一瞬が勝負です。人間都合でなく、いのちに寄り添う生き方があります。古民家の夏は、とっても涼しく、扇風機で大丈夫。ク-ラ-のない家であることが自慢です。(笑)ちなみにテレビもありません。

◆ あこがれの薪スト-ブ

 あこがれの薪暮らしは、とっても嬉しいことです。火を見つめる時間は何物にも変えられない喜びがあります。原初の炎は人間に欠かせない物ではないかとさえ思います。あのゆらぎの中にいるとなんとも言えない幸せ感に包まれます。

毎月している畑体験のイベントでも薪を使い庭先で羽釜でごはんを炊きます。スイッチ一つで炊き上がる器具ではできないおこげが楽しめたりします。

その喜びの裏に、薪を調達することの大変さも知りました。そんなところにまでしっかり想像できていなかったというのが正直なところです。薪で暖を取るということは、森の木々のおかげであり、木を倒してくださる方、運んでくださる方の存在を忘れてはいけません。薪を軽トラックに積み込む大変さ、も

って帰って並べて丸太を割って薪を棚に入れ、使う時は棚に取りに行って~と。たくさんの工程があり、時間とエネルギ-を必要とします。

◆ 「ありがたい」という思いが最大の収穫物

 ゆずや柿の収穫でもそうですが、高枝切りバサミを木々の間に差し入れ、採って、拾って、小枝を払って、カゴに入れて~といくつかの工程があります。ひと手間あるのです。お店ではきれいな状態で袋に入っていますが、木になっている状態から思うとたくさんの人の手が加わっています。

お野菜もそうです。収穫までの過程はもちろんですが、出荷時には畑を回って成長を見ながら一つひとつ収穫して、土を払い、枯れたり色が変わっているところを取り除く作業をします。これがまた大変なんです。

そんな体験から、してくださっている物を手にするときは、ありがたいという思いがあふれるようになったことが、実は、最大の収穫物かもしれません。

◆ 都会と田舎の違い

 都会ではお金で買うものだった自然の恵みを収穫できたり、ご近所さんにお裾分けを頂いたり、見知らぬ人が歩いていたら「だれだろう?」と思う感覚。知らない人でも通り行く人と挨拶を当たり前のようにかわすことなどは都会の人からしたらすごいことです。例えば大阪で前から歩いてくる人みんなに声をかけたら変な人だと思われます。(笑)

 やはり、田舎は人と人とのつながりあいが深く、最近○○さんどうされているかなあ?と心が届く関係があり、“コミュニティの輪の中にいる”という感覚が存在していることが素晴らしいなあと感じます。

 都会では、隣の人は何をする人ぞ?と全く知らないでも暮らしていけるからです。そう思うと田舎の良さであると同時に、互いに知り、知られすぎてしんどくなることもあるなあと。家に町内放送が入ったり、広報で毎月、誕生と訃報のお名前が公表される感覚には驚きました。

◆ 都会にはないフィ-ルドがたくさん

いろんな角度を挙げてみましたが、なんといっても“田舎の最大のポテンシャル”は、都会にはないフィ-ルドがここにはたくさんあると言うこと。私は幸いにもご縁がつながり、このユネスコ活動で手もみ茶の会と桃園に関わらせ

ていただくことができました。

 お茶は、大阪時代に中国茶の講座に1年間通ったこともあり、茶畑と出会えればいいなあと思っていた願いが実現しています。

でもこのユネスコの場は、ただののフィ-ルドではありません。久保さんがいつも話してくださるように茶園は、お仲間の手によって守られてきた場。そのエピソ-ドと共にそこに立つだけで人々のつながりと大事に育ててきたという心が伝わっていきます。みんなで茶葉を刈り取り、自分で揉んで自分で乾かして、自分の身体を動かして出来上がったお茶。無農薬、自然のままで育ったお茶は優しくて、安全で、おいしい~世界に2つとないお茶は皆さんの思いの詰まったお茶となり大変身を遂げるのです。

 桃園も同じです。私は今7組のオ-ナ-のお世話を担当させていただいています。1本の木を剪定、摘蕾(てきらい)、摘果、摘芯、袋かけと収穫までの体験をしてもらいます。オ-ナ-1人ひとりの思いに包まれた木となり、そこから収穫する桃は、喜びの詰まった桃となります。

 摘蕾では、新しく生まれたいのち(あかちゃん)を摘み採ります。どの方も「かわいそうだなあ」と言います。でも、1本の木が蓄えているエネルギ-は決まっています。大きい桃にするためには必要とお伝えすると、びっくりされます。1本の木から生み出されるいのちと見ると視点が伝わります。摘まれた蕾は、残された蕾に自分のいのちを託します。

剪定も同じでいのちが分散せず、集中させるために必要なことと言えます。オ-ナ-も「やってみてわかることがたくさんある」とおっしゃり、植物のあり方からオ-ナ-の心にいのちのあり方が届く時間でもあります。

いろんな出会いから、いのちを大事に繋いでいくことや自然の大切さが伝わり、小さないのちがどれだけ大事かが伝わっていくのではと感じています。

◆ 夢に向かって~ここにフィ-ルドがあるから

 ここ佐用でのさまざまな出会いが跳び箱3段目に繋がっていきます。

 田舎の豊かさにふれ、幸せな気持ちになる時間を生み出せる力、田舎だからこそできることがある。

 ここにフィ-ルドがあるからこそできること、都会暮らしでは持てないフィル-ドを提供できること。そこに自信を持てばいいと思いを強くしています。

 集落の方にいただいた、佐用で伝えられてきた伝統的な行事や食のことが書いてある「ふるさと 佐用の心」の冊子に感激して、ここに載っている1つひとつを教えていただきながら再現してみたいという夢もあります。

 今までの消費するだけの生き方から、生み出す喜びへ。そして、どんな収穫物にも様々な工程があり、商品としてきれいに並ぶまでにどれほどの人がどれほどの時間と手をかけ、思いが込められているのかを暮らしの中で知りました。

その労力がもっと値段に反映していてもいいとも思うようになりました。 

元は自然からの恵みであっても人間の手がたくさん加わっていること。それを知ってほしいし、伝えていきたいと思っています。

 その先で願うことは、つながり、出会い、人が集まり、人の知恵と力で生み出す幸せな未来です。

 

 

◆ 振り返る機会に感謝   

 佐用郡ユネスコ協会の活動を通じて、この度これまでの体験を振り返る機会を頂きました。最初はA4一枚のつもりでスタ-トしたのですが、書いていくと、どんどん文字になり一気に4枚。思いがあふれてびっくりしました。大阪での暮らしの中では生まれることのなかった経験ばかりです。

 

“おいしい空気と広い空”

 

 いつもいつもここにいるだけで、しあわせがひろがります。

 

最後になりましたが、きっかけをくださり、文章の校正にもサポ-トをしていただきました久保 稔さんに感謝いたします。ユネスコをずっと継続されてきた諸先輩の皆様にもお礼申し上げます。

ありがとうございました。

2021.4.13  引越し記念日に

 

 

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◆編集を終えて

 高校3年生の3女が「大学へ行かない」と決めた日、私は親の任務を終えて、翌日、退職を伝えた。1998年(平成10年)、52才の時のこと。

 「都会は退職してから住む場所でない」と過半数の人が思うようになったのは確かその頃。自殺者が3万人を超えピ-クに達していた。もう1つの生き方を、この田舎で、残りの人生で探ってみたい。それは20年も前からの思いだった。早速、4千坪の裏山に「洗心山庭(せんしんさんてい)」を造成する作業に取りかかった。

 その合間、大阪に1泊2日で10回通った。(なんば花月)や東曽根崎周辺の繁華街を、午前3時まで軒並み飲み歩き、眠らない街を体感し、近くのサウナ風呂で宿をとった。大阪駅周辺では、先進国であるはずなのに、コンクリ-トの片隅で夜を明かす人がいて、路上生活者が政治から見捨てられていた。朝9時半にはパチンコ店前に行列ができていて、なぜか寂しかった。夏は横風がぬるま湯の様で、太陽よりも、革靴の裏が熱いのが苦痛だった。都会と田舎、一体、どちらが長く生き延びられるのか。過半数の人の気持ちが理解できた様な気がした。

髙橋夫妻にお会いしたのは2014年頃。退職から16年が経っていたが「都会と田舎」をテ-マにしてきた私にとっては、待ちに待った人でした。都会の何が問題か、田舎に何を期待されるのか興味深々だった。

今回の「田舎暮らし体験記」を拝読し、田舎暮らしの一つひとつの体験に、これ程敏感に反応し、純粋に感動されてきた姿に、やはりこの人は田舎に住むべき人だったとの思いを強くしている。

しかし、康江(みちえ)さんは、この暮らしにこれ程の新発見を繰り返しても、尚、3段目の夢があると言う。

誰の言葉だったか。「頭の上に屋根があり、冷蔵庫に食料があり、着る服があるなら、あなたは世界の75%の人々より恵まれている」

私は、彼女が3段目の夢を実現しなくても、田舎暮らしを選択しただけで、恵まれている、と感じて欲しいと願っている。

                               佐用郡ユネスコ協会 副会長  久保  稔

                              

                        佐用郡ユネスコ協会 自分史シリ-ズ NO7

                        田舎暮らし体験記 2本当に田舎は限界なのか

                       

                         「おいしい空気からはじまるしあわせ」

                        著   者    髙橋 康江  佐用郡佐用町福吉

                        発 行 所    佐用郡ユネスコ協会

                        発行責任者    佐用郡ユネスコ協会 清水 樹

                        編集 校正 発行 清水 樹 久保 稔 関山 俊裕 髙橋 康江

                        連絡 問い合わせ 清水 樹 (090-4498-3441)

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​       Our Story 
その2  郷旬


 

 

都会に暮らす男性は、女性と違っていのちを生み出すことは難しいです。

僕が田舎で暮らすのは、いのちを生み出す事に関わりたいからです。

農家になったのもそのためです。

野菜やお米を育てることは、いのちを生み出すこともあり、またいのちを奪うことでもあります。  

 

 

 

なのでいのちの巡りに思いを沿わせて、お日様のめぐり四季の歩みとともにありたいと思います。 

 

                                                  * 郷旬の農業放浪記 *

 

今の相方さんと出会ったのが僕の農業との出会いだった。

彼女が「赤目自然農塾ってのがあるから一緒に行かない?」と誘われたのがきっかけだった。軽い気持ちで行くと言い、近鉄に乗って会場までてくてく歩いたのを思い出す。二十年前でも沢山の人が学びに来ていて、月に一回のことだったけど僕の心に隠れていたスイッチが、あの時入ったのだ。

 

そのうち近場でもやりたくなったので、市民農園を借りたり、知人の畑を借りたりしながら学びという名の失敗を繰り返して来た。この頃は介護の仕事をしながらだったが、将来は田舎で慣行農業ではない農業にチャレンジしたいと思うようになった。

 

ここで農業について分類してみよう。大部分の農家がやっていて、スーパーなどで売られている野菜の数々は、「慣行農法」で作られていて、日本の農作物の実に約98パーセントなのだ。これ以外は有機農業でその中に自然農や自然栽培などが含まれているのだ。無農薬栽培なんてニッチもニッチ!!ほとんど物好きの世界だな。外国はもう少し有機農家は多い。そもそも現代の有機農法は、冷涼なヨーロッパで生まれた農法なので原点回帰しているわけだ。

 

話は脱線しましたので元に戻すと、定年退職してから田舎に移住するのが、その頃のトレンドでしたが、やりたいことがあるのなら早くやったほうがいいので、兵庫県の佐用町に移住してニッチな農法で野菜作りと米作りを始めました。農業のやり方は学んでも、それに付帯する諸々のことは自然農塾では教えてはくれず、実地で体験することになったのだけど、これがまたハードすぎるほどの学びの日々でした。

 

何も知らずに耕作放棄地の田んぼを二枚借りて、秋だったので苺とニンニクを植えたのですが、次の日に畑に行くとイチゴの苗が引っこ抜かれているのだ。はじめはカラスかなとも思いましたが調べてみると鹿だったのだ。周りに足跡があったのでわかりました。

 

次の年の春、村の人々が稲作を始めたら借りた田んぼは水没し、秋まで使用不可になったのです。なぜなら野菜を植えてもねの周りに水が溜まって根腐れを起こすからだ。無知って怖いよね。ここを諦めて別の場所をお借りして畑にしました。

 

ここは周りには田んぼも畑もないので、無農薬で栽培できます。小麦を作ったり生姜も植えました。生まれて初めて、大きな生姜ができて嬉しかったですよ。これが2シーズン続きさんシーズン目から、所謂「気候変動」の直撃を受けるようになって来たのだ。

 

具体的には梅雨明け後、一ヶ月から一ヶ月半以上雨が降らなくなって日照りを通り越してもはや干ばつレベルなのです。それに伴って夏場が高温になり、米や野菜も高温障害のダメージを受けるようになった。大切に育ては野菜たちも、猪や鹿の侵入で全滅することも度々あって、そのたびに心が折れてまい、「もうやめようか」と思ったことも度々あった。中山間地では野菜やお米の栽培技術とともに、獣害の防御の技術が必須で、ここに言及している農業指導者は稀だ。

 

獣害の防御は現在進行形の取り組みである。哺乳類は賢いのですぐに穴を見つけて突破されるのだ。もちろんカラスや穴熊等枚挙に遑がない。イタチごっことはよく言ったものだ。対応するたびにコストがかかるのと、手塩にかけて育てや農作物がやられてしまうので、畑をやめる人も出てくるのだ。

しかし新規就農者が移住するのはまさしくこの「中山間地」なのだ。そして都会暮らしの人は、僕も含めてこの獣害を舐めている。そして現実に直面するのだ。

 

さて話は変わるが、僕は化学肥料や家畜の糞を使わずに農業をしている。土の力を強く大きくして、その土の力で作物を育てていただいているのだ。土の力とは土中のおける微生物の種類の多さと数の多さである。多様な微生物がお互いに支えあいながら地下と地上部分を豊かにしている。その地上部分を雑草ではなく、作物に変えてしかもタネを取って次の世代もまたそこに植えるのだ。そうするとタネは、土地の記憶を持っているので、繰り返せば繰り返すほどによく育つようになる。

 

畑の土は多様な微生物が、土中の餌を利用して空気のあるところを団粒化し水持ちと水はけの相反する状態を実現するのだ。そして土中に微生物のネットワークが出来上がり、互いに必要な栄養や情報を交換するようになる。ここにタネを蒔くと、発芽して根っこが土中の微生物と接触しファーストコンタクトを行い、微生物は糖質を作物は成長に必要な微量物質を互いに交換するのだ。

 

ただし根っこに悪さをする微生物もいるので、根っこから酸性物質を出して防御しつつ、微量物質を酸で溶かしイオン化して水とともに吸うわけである。最近はこの菌根菌について研究する学者が増えて、新しい知見が獲得されている。農家もまた勉強しなければならない。

 

そもそも慣行農業をやらない理由について語っていない。それは簡単で、三十年慣行農法をやっている人に、ぽっと出の移住者がその人たちを超えることはできないから、彼らがやっていないことに挑戦するのがいいと言うのがベースにある。もちろん自然農との出会いは大きかった。

 

今僕は機械(トラクターや管理機や田植え機等)を使っているし、畝にはビニールマルチを使っている。なぜならそのほうがいい結果が出ているからだ。

 

令和四年現在の結論として、「〇〇農法をするために移住する」のはよくない。なぜなら万能な農法などないからである。移住する先の「風土、気候、土質、適応作物、その土地での農事暦等」様々なファクターがあるのだから、農法にはこだわらずに、方向性だけ決めたらいいと思う。

 

かく言う僕もまだ途上です。毎年毎年仮説を立てて実施しながら暗中模索ですが、これを楽しく感じるのが農家だと僕は信じている。

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